staffblog スタッフブログ

私とプログラミング その4

スタッフブログ

2024.04.20

前回からかなり時間がたってしまいましたが、小さなシステム会社に就職し、地元超大手企業でお仕事をすることになっていった経緯まで書きました。今回はその中身から。

地元最大手企業でのCOBOLでの開発

 経験半年で送りこまれた会社は、地元超大手インフラ系の企業のグループ会社であるシステム開発の会社。会社のホワイト性は前回書いたので、今回は仕事の内容について。
 開発言語は、今となっては化石化しているCOBOLという言語。当時としても、昔からあるシステムなので、最新というわけではない。古いプログラミング言語といっても、現在のプログラミング言語の基礎になっている部分に関してはすべて網羅していて、不便であるがゆえに、基礎がきちんとマスターできるものでした。今のプログラミング言語では考えなくてもいいことまで考えて作りこまなければならないという面で、プログラミングの本質を学べて、「今では」よかったと思っています。なぜ「今では」なのかは後ほど。

2000年対応

 あまり業務の内容に触れるとまずいので、問題のない範囲でご紹介しましょう。
 まず、20世紀後半に世間をにぎわして、結局何てことなかった「2000年問題」。この「2000年問題」というのは、1999年から2000年に代わる際に、ソフトウエアそのものや、ハードウエアに組み込まれたプログラムが誤作動を起こすのではないか、というもの。例えば、警察や救急、航空・鉄道・船舶などの交通、政府や大企業のコンピューターが誤作動を起こしては大変だということで、みんな必死に対応していたものです。
 私が携わっていた会社もインフラ系なので、止まってしまうと大変な箇所。全員総出で当たらなければ、と上層部は思っていたようですが、私が携わっていた部署、エネルギーを各地に送るための大事なシステムでは、いざ調査してみると、プログラムの中に西暦下2桁でデータを保持しているものを4桁にすれば特に問題ないということがわかり、過去のデータを全部変換するという、きわめて重要だけど、あまりにも単純すぎる変換プログラムを大量に作るという作業を、担当者の指揮のもと、私一人で担当することに。
 結構なボリュームをこなし、無事2000年を迎えることになるのですが、世間が注目するほど中の人は危機感を覚えていなかったものです。

平成の大合併

 その後、エネルギーを各地に送るためのシステムから、顧客を管理するシステムを担当することになり、家庭に届く「契約開始のお知らせ」や「検針票」といったものを作ることになります。もちろんデザインを考えるわけではなく、決まったデザインのそれぞれの項目に載せるデータを加工したり抽出したりと、とても神経を使うプログラムを作ることになるが、自分が作ったものが、一般の人たちの目に触れるというのは、大変やりがいのある仕事でした。
 顧客を管理するということは、顧客の情報も管理するわけで、その中には住所も含まれます。
 国が進めて多くの市町村が合併するという「平成の大合併」と呼ばれた大規模な市町村合併が平成11年から17年にかけて行われたのですが、それに合わせて顧客の住所をすべて変換しなければならず、またまたデータ変換のプログラムを大量に作る羽目に。もちろん2000年問題のノウハウがあるのでプログラミングは何も問題ないものの、今度はデータ変換が毎月のようにあるので、その都度データの切り替えに立ち会わなければならなかったのが辛かったのです。
データの変換は、日常業務が終わり、夜10時から一日の締めとなるシステムが動きはじめ、朝までかけて大量のデータ更新等が行われるのですが、そのなかの返還すべきデータが作成された時点で、臨時にデータ変換プログラムを動かして、きちんと変換できているかを確認し、OKなら続きを走らせて、という感じなので、遅いと午前2時や3時までかかることも。もちろんそこはホワイト企業なので、遅出でOK、翌日は休みでも可という好待遇なのでいいのですが、やはり生活のリズムが毎月末に来るのはきつかったものです。

安定企業での仕事の終焉

 と、ここまで紹介した2つは特殊なものとして紹介しましたが、通常は既存のシステムに対して新たな機能を付け加えたり、または新規のサブシステムを作ったりなどの開発をしながら気がつけば10年を超え、システム会社の社員よりも同じシステムを担当しているので、一番詳しい存在になるかというタイミングで、この古いシステムを新たにJavaを使ったシステムで作り直すことに。主力の技術者がそちらに異動となり、システム担当者と私の2人で古いシステムを保守していく期間が長く続き、あるタイミングで、新しいシステムのアドバイザー的な部分を担うことが決まっていたのですが、その話が立ち消えになるぐらいの混乱が2011年に訪れるのです。そうです。東日本大震災です。
 私の住む東海地方では特に被害はなかったのですが、インフラと言えば、そう、福島の・・・。というわけで、こちらのものも危険だろうということで、全国に先駆けていち早く停止に。そうすると金額的にも大打撃でしたし、そちらに携わっていた人も余ってしまうというわけで・・・。よって、社員を解雇することはできないので、年度末のタイミングで契約が切れる外部委託の人と契約を延長しないことに。そして私はここでの仕事を終え、自社に戻ることに。
 この先、波乱が待っていますが、続きはまた。

この記事をシェアする